「AIでITエンジニアの仕事はなくなるのか」。
この問いは、たいていイエスかノーの水掛け論で終わる。
なくなる派となくならない派が、それぞれの根拠を出し合って、平行線になる。
問いの立て方を、少し変えてみる。
なくなるかどうかではなく、どういう過程を経て、どんななくなり方をするのか。
そう問い直すと、いまの自分がその過程のどのあたりにいるのかが見えてくる。
最後まで残るものの正体も、見えてくる。
ただし、それが残ることと、それが報われることは、別の話だ。
ITエンジニアの仕事はどう溶けていくか
仕事は、ある日一気に消えるのではない。
担当する範囲が、段階的に溶けていく。
- 単位作業の吸収。コーディング、テスト、ドキュメント作成といった「作業としての開発」がAIに置き換わる。すでに進行中だ
- 定型判断の吸収。設計パターンの選定、ライブラリ比較、障害の一次切り分けなど、経験則で回していた判断がAIに移る。中堅の仕事が薄くなる
- ロールの再定義。「フロントエンド」「インフラ」といった専門分化が意味を失い、「AIを使って問題を解決する人」へ収束する。人数は大幅に減る
- 最後に残るもの。「何を作るか」「なぜ作るか」「作らない判断」ができる人。AIの出力を社会的文脈で評価できる人。ただし、必要な人数はごく少ない
職種名は、残るかもしれない。
だが、同じ成果を出すのに必要な人数が桁で減る。
これが、たぶんいちばんリアルな描像だ。
アーキテクチャ・技術選定も例外ではない
「アーキテクチャには思想が宿る」「技術選定にはトレードオフがある」。
だからここはAIに任せられない、とよく言われる。
だが、AIがこの領域で弱いのは、能力不足のせいだとは限らない。
多くの場合、判断に必要なコンテキストを渡せていないだけだ。
チームのスキル構成、組織の力学、予算、事業仮説、技術負債、採用市場。
これらを十分にインプットできれば、AIの判断精度は上がっていく。
「思想」と呼んでいるものの正体が、言語化されていない制約条件の重み付けだとすれば、原理的には置き換えられる。
とはいえ、前例のない状況で新しい形を発明する仕事は、もう少し長く人間の側に残るだろう。
レガシーシステムの構造は繰り返す
一方で、AIが出てきても変わらないものもある。
「作りっぱなし、負債化、高コストで保守」というサイクルだ。
人間の組織が短期成果を優先する性質は、そう簡単には変わらない。
むしろ、AIが生成速度を上げるぶん、負債の蓄積速度も上がる。
ここで「AIが後片付けもできるなら問題ないのでは」と思いたくなる。
だが逆だ。
後片付けが必要になる領域こそ、人間の構造理解がいちばん要る領域なのだ。
ビジネスとの断絶は解消されるか
AIがコードを書けるようになれば、ビジネス側も技術に近づいて、対等に話せる人が増える。
かつては、そう期待していた。
ところが現実は、逆に動いた。
「AIがやってくれるんでしょ」と、理解する努力のほうが手放されていく。
境界が溶けるどころか、新しい壁ができている。
AIが高性能になるほど、「中身を理解しなくても結果が出る」体験が増える。
すると、理解するインセンティブが下がる。
AIの進歩は、わかりあえる人を増やす方向ではなく、わからなくても困らない人を増やす方向に効きうる。
不都合な現実に向き合うこと
断絶の一つの側は、はっきりしている。
ビジネス側の「こうしたい」は、ときにドラえもんに秘密道具を願うのに近い。
wishとhopeの区別がついていない。
一方でITエンジニアは、実現可能性、トレードオフ、論理の破綻に目を向ける。
ここに踏み込んでこないかぎり、両者は永遠にわかりあえない。
「やっておいて」と丸投げされ、下請け化する構造が続く。
ただし、これはエンジニア側から見た景色にすぎない。
ビジネス側にも、ビジネス側の「不都合な現実」がある。
断絶は「向き合う人と向き合わない人」だけでなく、互いの制約が見えていないことからも生じている。
「こちらの世界に来てくれ」と待つだけでは、構造的に受け身の位置に固定される。
予防の価値は構造的に過小評価される
もう一つ、根の深い非対称がある。
セキュリティの欠落も、安定稼働の綻びも、事故が起きるまで表面化しない。
だから「理解している人を常時抱えるより、事故が起きてから対応するほうが安い」という経営判断が、合理的に成り立ってしまう。
ITセキュリティ人材の給与が低めなのも、この市場の小ささの反映だ。
「わかりあう」の再定義
それでも、希望がないわけではない。
AIを介して「意図のレベルで合流する」世界は、技術の言語を共有しなくても成り立ちうる。
従来の「わかりあう」とは違う形だが、より実質的かもしれない。
ただ、「わかりあえること」は、本質的な解決の必要条件ではない。
わかってくれる人が、少数いればいい。
この願いですら、構造的に、完全には叶わないのかもしれない。
構造を見る力だけが残る
ここまでの道筋は、一つの場所に収束する。
問題の本質は「コードの読み書き」ではなく、「何が問題なのかを認識できるか」にある。
AIは、指示されたことを高速に実行できる。
だが、何を指示すべきかの判断には、システム全体の文脈を構造として掴む力が要る。
これは専門知識というより、依存関係や矛盾を見抜く力、つまり「不都合な現実が見える目」だ。
再生産の困難という逆説
ところが、この力には厄介な逆説がついている。
AIが高性能になるほど、実行力は安くなる。
だが、構造を見る目は、訓練と経験でしか育たない。
そしてAIが実行を肩代わりするほど、その訓練の機会そのものが減る。
供給が細る一方で、需要は残り続ける。
ここに、少し特殊な市場力学が生まれる。
生存戦略としての構造理解
この力は、勇敢さや誠実さから生まれるとは限らない。
体力やメンタルが強くない人間にとって、「向き合わないと自分が潰れる」という切実さこそが、この力を育てる原動力になることがある。
無理ゲーには挑まないよう、常に構造を見ておく。
弱さから生まれた合理性だ。
だとすれば、皮肉なことも起きる。
AIが何もかも楽にしてくれる世界では、この切実さが薄れ、構造を見る力が育ちにくくなる。
「構造を見せる」という役割
構造を見る力は、これからも必要とされ続ける。
だが、冒頭で触れたとおり、それが正当に評価される保証はない。
ただ、この力の活かし方は、組織を率いることだけではない。
もう一つ、「見え方を変える」という役割がある。
他の人に見えていない構造を言語化して差し出すこと自体が、判断の枠組みを動かす力を持つ。
少数のわかる人の判断を、静かに底上げする存在。
参謀的な立ち位置、技術顧問、あるいはまだ名前のない役割かもしれない。
「率いる」以外の影響力の出し方は、確かに存在する。
残る力が報われるとはかぎらない、という最初の引っかかりは、たぶんこの一点でだけ半分ほどほどける。
どんな形でその力を見せるかは、まだ各自の手の中に残っている。
