「トイレに立ったついでにスクワット」。
「歯磨きしながらつま先立ち」。
こういう小さな習慣術を、何度か試したことがあるかもしれません。
そして、たいてい三日で消えていきます。
意志が弱いからだ、と結論づけたくなります。
でも、続いている習慣を思い返してみてください。
歯磨きも入浴も、意志の力で続けている感覚はありません。
だとすれば、続く習慣と続かない習慣を分けているのは、意志の量ではなく、別の何かのはずです。
「ついで」と「ながら」は全く違う
「ついで」には判断が入る
新しい習慣を仕込むとき、「既存の動作のついでにやる」というやり方がよく勧められます。
トイレに立ったついでに、歯磨きをしながら。
一見、賢いやり方に見えます。
ですが、この「ついで」型は、続かない典型でもあります。
ついでにやるには、まず「思い出す」必要があります。
そして思い出した瞬間に、「やるかどうか」の判断が入ります。
判断が入るかぎり、疲れている日や気分の乗らない日は、飛ばされます。
飛ばす日が続けば、いつのまにか習慣ではなくなっています。
「ながら」には必然性がある
一方で、「動画を見ながらエアロバイクを漕ぐ」ような「ながら」は、性質が違います。
動作そのものに必然性があり、判断が入りません。
だから、意志力を減らさずに続きます。
両者を分けているのは、「やらない選択肢が自然に存在するか」です。
「ついで」は、やらないのが普通の状態で、やるほうが追加の負荷になります。
「ながら」は、その動作をしている時点で習慣がもう回っていて、やめるほうが不自然になります。
同じ「小さな運動を足す」でも、この向きが正反対なのです。
続いている習慣を分解すると「必然性」が見える
冒頭の歯磨きに戻ります。
すでに続いている習慣を観察すると、共通して「やるかどうかの意思決定がそもそも存在しない」構造になっています。
歯磨きも入浴も、生活動線の中に組み込まれていて、やらないほうが不自然です。
新しい習慣を作るときも、分かれ目はここにあります。
意志の力で続けようとするのか、判断が入らない動線を作るのか。
続く人は、たいてい後者を、無意識のうちにやっています。
新しい習慣を作るより、既存の習慣の中身を変える
既存の歯車に別の機能を載せる
ここから、実践的な解が一つ導けます。
新しい習慣をゼロから作るのではなく、すでに続いている習慣の中身を変える、というやり方です。
新しい習慣の立ち上げには、動線の設計と、定着するまでの試行錯誤というコストがかかります。
一方、すでに必然性を持って回っている習慣は、ほぼコストなしで稼働し続けています。
だったら、その稼働中の仕組みに別の機能を載せられないか。
新しい歯車を一から回し始めるより、はるかに省エネです。
具体例:運動習慣の中身を変える
たとえば、エアロバイクが続いているとします。
新しい筋トレを別に始めるのではなく、そのバイクの負荷や時間配分のほうを変えます。
30秒の高負荷と2〜3分の軽い負荷を4〜6セット繰り返す高負荷インターバルは、大腿部への刺激が筋トレに近くなります。
下半身の筋肥大が起きた、という研究もあります。
種目を増やしたくなったときも、まず同じ運動時間の中に組み込めないかを先に考えます。
ハンドル付近にチューブバンドを括りつけて、漕ぎながらロウイング。
そんな工夫が候補になります。
これは運動に限りません。
読書、語学、瞑想も同じです。
通勤、入浴、就寝前。
すでに必然性を持って回っている時間枠の中身を変えるほうが、新しい時間を確保するより、ずっと定着します。
「足りないものを足す」より「今あるものの中身を変える」
このやり方を一般化すると、一つの原則になります。
「足りないものを足す」より、「今あるものの中身を変える」。
これは習慣化だけの話ではありません。
業務改善や、組織の仕組みづくりにも、そのまま効くメタ原則です。
新しい仕組みを増やしたくなったとき、まず問い直す価値があります。
その機能、すでに回っている仕組みの中に載せられないか、と。
冒頭のスクワットが続かなかったのは、意志が足りなかったからではありませんでした。
やらない選択肢が、いつでも隣にあったからです。
続けたい何かがあるなら、まず探すべきは新しいやる気ではなく、すでに毎日回っている歯車のほうです。
