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イラクの失敗を23年後にイランで繰り返す構造

   
イラクの失敗を23年後にイランで繰り返す構造のGPT生成本文インフォグラフィック

アメリカがいちばん恐れていたのは、イランの影響力が中東に広がることだった。
そして2003年、そのイランの影響力を決定的に広げたのは、ほかならぬアメリカ自身だった。
イラクのフセイン政権を倒したことで、イランと地続きのシーア派勢力が一気に力を得た。

それから23年。
2026年、アメリカはそのイランを叩いている。
自分が育てた脅威を、自分で叩きにいく。
これを一度きりの失策と見るか、繰り返される構造と見るかで、話はまったく変わってくる。

イラクからイランへ:23年越しの反復

2003年に何が起きたか

まず、2003年に立ち戻る。
アメリカはイラクに侵攻した。
公式の理由は大量破壊兵器(WMD)の保有疑惑だったが、WMDは結局見つからなかった。
実際には、石油利権、ネオコンの中東民主化構想、イスラエルの安全保障、9.11後の報復感情が、複雑に絡んでいた。

フセイン政権は、スンニ派少数派による独裁だった。
同時に、イランへの防波堤としても機能していた。
その政権が崩れた結果、人口の約6割を占めるシーア派が、初めて政治権力を握る。
フセイン時代にイランへ亡命していたシーア派指導者たちが、そのまま政界に戻ってきた。

こうして、イラン・イラク・シリア・レバノンを陸で結ぶ「シーア派の三日月地帯」が姿を現した。
恐れていたイランの拡大を、恐れていた当人が完成させた。

2026年に何が起きているか

場面を2026年に移す。
2月、アメリカとイスラエルが共同で、イランへの軍事作戦を始めた。
イランの核開発能力は、今度は本物だ。
1週間以内に兵器級ウランを作れる、とされている。

ただし、核兵器を作る意図までは確認されていない。
差し迫った脅威の証拠も、IAEAは否定している。
「WMDを持っているかもしれない」(2003年)が、「核兵器を作る能力がある」(2026年)に置き換わっただけだ。
不確実な脅威を確実な脅威として扱い、それを攻撃の根拠にする。
言葉を変えただけで、同じ手つきが繰り返されている。

構造の反復

並べると、因果の輪が見えてくる。
2003年のイラク攻撃がイランを強くし、強くなったイランが脅威になり、2026年のイラン攻撃を呼んだ。
同じ思考パターンが、同じ構造的失敗を生み続けている。

もちろん、確かな証拠を待ってからでは遅い、というジレンマは本物だ。
だが、そのジレンマを口実にして行動を正当化する余地も、同じだけある。
だから問われているのは、脅威が本物かどうかではない。
不確実性をどう扱うか、そのやり方のほうだ。

手段が目的を腐食する

覇権維持のパラドックス

なぜ、この循環は止まらないのか。
ここで視点を、個々の判断から覇権という仕組みへ引き上げてみる。

アメリカの覇権が国際秩序の安定を支えてきた面は、否定できない。
覇権安定論が言うように、圧倒的な強国が一つある時期のほうが、秩序は保たれやすい。
複数の大国が拮抗した1910〜40年代には、二度の世界大戦が起きた。

だが、ここに根の深い矛盾がある。
覇権を維持するための行動そのものが、不安定を生んでいる。
ホッブズのリヴァイアサンに近い問題だ。
秩序を守る暴力装置は要る。
では、その装置自身の暴走は、誰が抑えるのか。

ペトロダラーとドル覇権

覇権を支える柱は、軍事力だけではない。
その一つがペトロダラー体制だ。
1970年代、サウジアラビアとの密約で「石油取引は必ずドルで」という仕組みが作られ、世界中がドルを必要とする構造が生まれた。

イランは、この体制に逆らってきた。
石油をドル以外でも売る。
それはドル覇権への正面からの挑戦であり、軍事的脅威とはまた別の動機がここにある。
「核」という表向きの争点の下に、通貨という争点が沈んでいる。

「最悪ではない覇権国」の限界

とはいえ、アメリカを単純な悪役として描くのも、正確ではない。
占領した国を植民地化して搾取し続ける、ということはしない。
報道の自由や司法の独立も、一定程度は保たれている。
ただ、民主主義や人権の推進は、国益と一致するときにだけ選ばれる。

「最悪ではない覇権国」と「真に良い覇権国」の間には、大きな隔たりがある。
民主主義が「一番マシな人を選ぶ制度」だとすれば、いま世界がやっているのも、マシな覇権国を選んでいるだけなのかもしれない。

構造を見る目が必要な理由

ここまで見てくると、問いの向きが変わる。
同じ思考パターンが同じ失敗を生むとき、責めるべきは個々の判断の是非ではない。
その判断を生み出している構造のほうだ。

不確実な脅威を、確実な脅威として扱う思考。
脅威への対処が、次の脅威を生む循環。
覇権を守る行動が、覇権を揺るがすパラドックス。
どれも、特定の指導者やイデオロギーの問題ではなく、システムの問題だ。

だから、担い手が代わっても、構造が同じなら同じことが起きる。
冒頭で見た「自分が育てた脅威を自分で叩く」構図は、23年で一度きりのものではなかった。
次にどこかで同じ形を見つけたとき、それを個人の失策として片づけるか、構造として名指しできるか。
繰り返しを止められるかどうかは、たぶんその見分けから始まる。

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